そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか? ― 2018年11月11日 23:10

その1)
そもそも、
である。
私は、一度歌をやめようと思ったことがある。
向いてない。
もう、無理。。。
この写真を撮った次の年ぐらいかと思う。
今から、20年弱前のことだ。
車を運転していて、赤信号で止まっていた。
まだ赤なのに、後ろの10トントラックが、
前に出たのだ。
たったそれだけ。
彼の車は殆ど何でも無いけれど、
私の車は後ろのトランクは、
使えないぐらいへしゃげていた。
私は、大丈夫と思ったのだけれど、
夕方には、身体中が痛いし、微熱は出るし。
むち打ちである。
全治二ヶ月と言うけれど、
完治には結局半年かかった。
でも「完治です」と言われても、
昨日と、さっきと全然変わっていない。
でも治ったんだから、歌ってみよう。
あれ、どうやって声って出すんだっけ?
最初の一声って、どうやるんだっけ?
どうやって立つんだっけ?
何もわからなかったのだ。
何も、わかっていなかったのだ。
事故に遭ったことより、
びっくりだ。
哀しかった。
この頃、練習するって怖かった。
どうして良いか、わからなかった。
昨日と何も変わらない。
全然うまくならない。
苦しいし。
当たり前だけど、気持ちよくない。
勇気を出して参加したワイマールのセミナーでは、
さんざんだった。
(当たり前だ。。。)
今夜のコンサートを聴いてもう、帰ろう。
その日は、別のクラスの卒業コンサートだった。
60〜70歳ぐらいに見える女性が、歌った。
真っ赤な口紅で、藤色のドレス。
涙が止まらなくなった。
・・・私、この人ぐらいの年になった時に、
どうしているだろう。
こんな風に、楽しそうに
幸せそうに、キラキラしてるだろうか?
歌っているのか?
歌っていられるのか?
歌っていなかったら?
その時に彼女(ドイツ人)が歌ったのは、
ドヴォジャーク作曲の歌曲「ジプシーの歌」。
伴奏ピアニストは、東洋人らしかった。
この方が弾いたもう一人の女性(カナダ人)は、
これまたドヴォジャーク作曲のオペラ「ルサルカ」から、
月に寄せる歌。
この日のこの出会いが、
この曲と、
このピアニストとの出会いが、
もう一度最初から、原点から学ぼう、
やり直そう、
と決心させてくれることになった。
私は、ついてる。
ありがとう。
そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか? ― 2018年11月13日 23:40

その2)
そもそも、
の続きである。
その卒業コンサートの次の日の朝ごはん。
あのピアニストが、
あの歌い手と、食べているではないか。。。
同じホテルだったんだ。
。。。なんとなく人恋しい私は、
ひっそり、隣のテーブルに座ってみる。
少しすると、
一緒に食べていた歌い手を送って行き、戻ってきた。
「日本の方ですか?」
「そうよ」
彼女はまだまだ食べながら、
私の話をきいてくれた。
「あなたみたいな事になった人、
私たくさん見てきた」
へー・・・
そうなんだ。
・・・事故に遭って無くても?
なんと、
この方は、私に
身体の使い方から教えてくれる先生を、
紹介してくれると言う。
日本では、三人しか思い当たらない、と言う。
まだ、私の歌を聴いていないのに、である。
日本に帰って、
そんな気持になったら、連絡してね、
と、連絡先をホテルのフロントへ預けていってくれた。
ワイマールを早々に切り上げた私は、
家族と合流して、
なんと、チェコへ向かったものである。
(プラハへの電車は、その名もスメタナ号!)
まだ、この時点で、私の中では、
ドヴォジャークとは、繋がっていない。
むしろ、余り記憶が無い。
そこから、一ヶ月ぐらい、落ち込むのだ。
ある日、俄然怒りがやってくる。
私、何も悪いことしていない。
優秀でもなかったけれど、
サボっていたわけじゃない。
うまくなろうと思ってきた。
その道が、
その声の道が必ずあると信じていた。
どこで間違えた?
そもそも、間違っていたのか?
こうしか、なかったじゃないか?
絶対に、身体からの声を見つけなくては。
あるってわかっているのだから。
それを見つけたら、やめてもいいや。
そうしたら、私もあの藤色のドレスの方のように、
幸せなおばあちゃんになれるだろう。
歌い続けていけるかも。
そうして、ドヴォジャークを歌うの。
歌えるようになるんだ、絶対。
私は、とてもついている。
ありがとう。
そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか? ― 2018年11月14日 23:53

その3)
そもそも、
の続きである。
二度目にあったピアニストと、
新しい先生のお宅へ伺う。
歌う。
「いいわ、レッスンいたしましょう。
ただね、身体を動かすお習い事を、
水泳でもダンスでも、いいから、
何か始めたら、連絡を下さいね。」
びっくりだ。
私はすぐに近所のジムへ入るのだ。
水泳も、エアロビ(!)も、ヨガでも、何でもある。
そして、ふと「気功」のお知らせを見つけるのだ。
そして、このヨガと気功。
この二つが私を助けてくれることになる。
気功は、一旦クラスが無くなるも、
整体師養成クラスへ通い、認定まで頂く事になる。
思えば、高校生の時。
受験のために始めた声楽。
このときの先生が、からだを創ることからする方だった。
当たり前に、そりゃそうだと思っていた。
そしてグルベロヴァーのCDを聴き、
憧れたのだ。
いつか、こんな風に身体が鳴っているような、
鉄を咥えて歌っているような響きの声が出ると。
グルベロヴァーは、スロヴァキア人。
今の私の先生も、スロヴァキア人。
なんと同じ音大の卒業である。
さて、身体を動かすお習い事を始めた私は、
次のお習い事は、
チェコ語である。
ドヴォジャークを歌おう、
と調べてみれば、チェコ人じゃないか。
あのとき、ワイマールからチェコへ着いた途端、
同じアルファベットなのに、
何も読めない言葉。
地名すら読めない、あのチェコ語、である。
東京で見つけた、習えるところは2カ所。
どちらも途中入会は、受け付けていない。
4月新規開講を待つことになる。
そして、このチェコ語の先生も、
ものすごい方だった。
私が、JAMUで初めて歌ったとき、
信じられない、と言われた発音の正しさは、
彼のお陰である。
こう書いてみると、
本当に先生に恵まれてきた。
人との出会いが繋がって、
今の私があるのだ、としみじみ思う。
私は、本当にとてもついている。
ありがとう。
今日の写真は、チェコの民族楽器というより、
東欧系の、かもしれない。
ツィンバロン。
弦楽器で打楽器。
ピアノもそうなのだけれど、
でも全然違う音。大好きな音。
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