そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか?2018年11月14日 23:53


その3)


そもそも、
の続きである。


二度目にあったピアニストと、
新しい先生のお宅へ伺う。

歌う。


「いいわ、レッスンいたしましょう。
ただね、身体を動かすお習い事を、
水泳でもダンスでも、いいから、
何か始めたら、連絡を下さいね。」



びっくりだ。


私はすぐに近所のジムへ入るのだ。
水泳も、エアロビ(!)も、ヨガでも、何でもある。


そして、ふと「気功」のお知らせを見つけるのだ。


そして、このヨガと気功。
この二つが私を助けてくれることになる。


気功は、一旦クラスが無くなるも、
整体師養成クラスへ通い、認定まで頂く事になる。





思えば、高校生の時。
受験のために始めた声楽。
このときの先生が、からだを創ることからする方だった。
当たり前に、そりゃそうだと思っていた。


そしてグルベロヴァーのCDを聴き、
憧れたのだ。
いつか、こんな風に身体が鳴っているような、
鉄を咥えて歌っているような響きの声が出ると。


グルベロヴァーは、スロヴァキア人。
今の私の先生も、スロヴァキア人。
なんと同じ音大の卒業である。



さて、身体を動かすお習い事を始めた私は、
次のお習い事は、
チェコ語である。


ドヴォジャークを歌おう、
と調べてみれば、チェコ人じゃないか。
あのとき、ワイマールからチェコへ着いた途端、
同じアルファベットなのに、
何も読めない言葉。
地名すら読めない、あのチェコ語、である。


東京で見つけた、習えるところは2カ所。
どちらも途中入会は、受け付けていない。
4月新規開講を待つことになる。


そして、このチェコ語の先生も、
ものすごい方だった。


私が、JAMUで初めて歌ったとき、
信じられない、と言われた発音の正しさは、
彼のお陰である。



こう書いてみると、
本当に先生に恵まれてきた。
人との出会いが繋がって、
今の私があるのだ、としみじみ思う。




私は、本当にとてもついている。


ありがとう。



今日の写真は、チェコの民族楽器というより、
東欧系の、かもしれない。
ツィンバロン。
弦楽器で打楽器。
ピアノもそうなのだけれど、
でも全然違う音。大好きな音。

そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか?2018年11月13日 23:40



その2)


そもそも、
の続きである。


その卒業コンサートの次の日の朝ごはん。

あのピアニストが、
あの歌い手と、食べているではないか。。。

同じホテルだったんだ。

。。。なんとなく人恋しい私は、
ひっそり、隣のテーブルに座ってみる。


少しすると、
一緒に食べていた歌い手を送って行き、戻ってきた。


「日本の方ですか?」
「そうよ」


彼女はまだまだ食べながら、
私の話をきいてくれた。


「あなたみたいな事になった人、
私たくさん見てきた」

へー・・・
そうなんだ。


・・・事故に遭って無くても?



なんと、
この方は、私に
身体の使い方から教えてくれる先生を、
紹介してくれると言う。
日本では、三人しか思い当たらない、と言う。
まだ、私の歌を聴いていないのに、である。


日本に帰って、
そんな気持になったら、連絡してね、
と、連絡先をホテルのフロントへ預けていってくれた。


ワイマールを早々に切り上げた私は、
家族と合流して、
なんと、チェコへ向かったものである。
(プラハへの電車は、その名もスメタナ号!)
まだ、この時点で、私の中では、
ドヴォジャークとは、繋がっていない。

むしろ、余り記憶が無い。
そこから、一ヶ月ぐらい、落ち込むのだ。



ある日、俄然怒りがやってくる。

私、何も悪いことしていない。
優秀でもなかったけれど、
サボっていたわけじゃない。

うまくなろうと思ってきた。
その道が、
その声の道が必ずあると信じていた。


どこで間違えた?
そもそも、間違っていたのか?
こうしか、なかったじゃないか?


絶対に、身体からの声を見つけなくては。
あるってわかっているのだから。
それを見つけたら、やめてもいいや。

そうしたら、私もあの藤色のドレスの方のように、
幸せなおばあちゃんになれるだろう。
歌い続けていけるかも。


そうして、ドヴォジャークを歌うの。
歌えるようになるんだ、絶対。



私は、とてもついている。


ありがとう。

そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか?2018年11月11日 23:10


その1)


そもそも、
である。


私は、一度歌をやめようと思ったことがある。
向いてない。
もう、無理。。。


この写真を撮った次の年ぐらいかと思う。
今から、20年弱前のことだ。

車を運転していて、赤信号で止まっていた。
まだ赤なのに、後ろの10トントラックが、
前に出たのだ。

たったそれだけ。
彼の車は殆ど何でも無いけれど、
私の車は後ろのトランクは、
使えないぐらいへしゃげていた。

私は、大丈夫と思ったのだけれど、
夕方には、身体中が痛いし、微熱は出るし。

むち打ちである。


全治二ヶ月と言うけれど、
完治には結局半年かかった。
でも「完治です」と言われても、
昨日と、さっきと全然変わっていない。


でも治ったんだから、歌ってみよう。


あれ、どうやって声って出すんだっけ?
最初の一声って、どうやるんだっけ?
どうやって立つんだっけ?


何もわからなかったのだ。
何も、わかっていなかったのだ。


事故に遭ったことより、
びっくりだ。
哀しかった。


この頃、練習するって怖かった。
どうして良いか、わからなかった。
昨日と何も変わらない。
全然うまくならない。
苦しいし。
当たり前だけど、気持ちよくない。




勇気を出して参加したワイマールのセミナーでは、
さんざんだった。
(当たり前だ。。。)
今夜のコンサートを聴いてもう、帰ろう。
その日は、別のクラスの卒業コンサートだった。


60〜70歳ぐらいに見える女性が、歌った。
真っ赤な口紅で、藤色のドレス。

涙が止まらなくなった。


・・・私、この人ぐらいの年になった時に、
どうしているだろう。
こんな風に、楽しそうに
幸せそうに、キラキラしてるだろうか?

歌っているのか?

歌っていられるのか?

歌っていなかったら?




その時に彼女(ドイツ人)が歌ったのは、
ドヴォジャーク作曲の歌曲「ジプシーの歌」。

伴奏ピアニストは、東洋人らしかった。
この方が弾いたもう一人の女性(カナダ人)は、
これまたドヴォジャーク作曲のオペラ「ルサルカ」から、
月に寄せる歌。


この日のこの出会いが、
この曲と、
このピアニストとの出会いが、
もう一度最初から、原点から学ぼう、
やり直そう、
と決心させてくれることになった。





私は、ついてる。


ありがとう。

私は夢を見た2018年10月04日 12:55

今朝、起きる直前まで夢を見ていた。

私は、ほとんど夢を見ていないと、
言い切るぐらい覚えていない。

夢は、普通にみんな、毎晩見ている、
という話も聞く。
それを日記につけるといい、
とも聞くし、
潜在意識との関係がある、
とか、
フロイトの夢判断、とか、
本当に昔から、
たくさんの人が不思議に思い、
研究されてきたのだと思う。


でも、覚えていないのだ。


ところが、今朝は珍しく覚えてる。
。。。いや、そろそろあやふやになっているけれど、
多分夢の続きのまま、にっこり起きたんじゃないか、
と思ってる。


明石家さんまさんと、あの調子でおしゃべりしながら
おにぎりを握ってる夢。
シャケである。

本当におかしくって、楽しかった。


。。。何のお告げだろうか?



ということで、今日の一枚は、
彼のHPの写真を載せさせていただこうと思う。
。。。と思ったのだけれど、差し替えます。

サロンコンサート20182018年09月15日 23:45

サロンコンサートのお誘いです。

昨年は、ちょっとしたトラブルで、
できませんでしたが、
今年は、開催です!

昨年予定していたチェコ歌曲。
ドヴォルザークの6つの歌曲を、
全曲チェコ語で歌わせて頂きます。

もう一つ。
トルナウスキーという
スロヴァキアの作曲家の作品。
「小さな花々」から5曲。
スロヴァキア語で歌わせて頂きます。

他に、日本の歌や、
イタリア古典歌曲、ドイツの歌など。。。



チェコ語とスロヴァキア語。
元々は一つの国だったことがあります。
お互い、それぞれの言葉で話していても、
話が通じるそうです。

多分、感じとしては、
私たち日本人が関西弁と関東弁とで
話してるようなものでしょうか。

発音も、文法も似ている、
というか、方言、ぐらいの差かもしれません。


歌うには、書かれている通り、
できるだけ忠実に歌うところですが、
CDなどを聴いてみると、
何分方言に近いので、
少し潰れる?発音などもあるようです。


でも、私は外国人になるので、
書かれてる通りに歌おうと思います。


彼らの言葉には、
母音(a e i o u)は私たちと同じようですが、
長い母音、というものがあります。
これは、長いなら長く発音しないと通じない。
大事なことです。

なんと、歌う曲は、
長い母音には長い音符が当てられて、書かれています。
そうでない場合、同じ音符でも長めに歌います。
長母音だよー、
とわかるように歌う。

この時代の歌う曲は、歌詞が先だった、
という証拠でもある。


興味深いでしょう?

元々、歌うための曲は、
詩が先にあった、ということです。

最近は、曲が先で詩を後から作る、
というか、付ける。
なぜ付けるかといえば、
音が先にあれば、字数の制限が出ちゃうから。

難しそうですよね。。。


これは、訳詞で歌うときにも
同じことが起きているわけです。
それで、ちょっと違和感を感じることって、
ありませんか?


音楽と言葉。
両輪で、どちらも大事なもの。
どちらも一緒に操れるのは、
人間の特権です。
だから、文化で文明。

歌って、すごいでしょ?