哀しい耳2017年10月20日 20:15


キャスリーン・バトルのコンサートへ行った。

憧れの歌い手。
あんな風に歌えたら、
とお手本にしている生きている二人のうちの一人だ。

彼女の声を、生で聴くのは初めてだ。
サントリーホール。
すてきだ。
きっと彼女の繊細で、完璧な発声を
すてきに響かせてくれるだろう。


少し早めにホールに入れた。

あれ、ピアノのふたが上がっていない。
一番低く、3㎝ぐらいしか上がっていない。。。?


1曲目。オンブラマイフ。
え、これ  一曲目なんだ。。。

歌いながら、ピアニストにもっと音を出して、
と言うようなジェスチャーをしてる。

そう、確かにピアノの音がこもっていて、
本当にもったいない。


昔、この、
彼女のオンブラマイフの歌声がCMで流れて、
大人気になって、
彼女はコンサートをした。
その時にオケに入っていた人からきいた話しによると、
「彼女、声が小さいんだって」
私は驚いた。なんてことを。。。


なぜ、生身のからだで、マイクも使わずに歌う声楽家に、
大きな声が良いことだと、言うのだろう?
大きな声は美しいだろうか?
声が聞こえなかったとでも言うのだろうか?
なぜ、大きな声と、良く響く声が違うと感じないのだろう?
彼女は、あのパヴァロッティやドミンゴを相手役に
オペラでも歌っているのに?

なぜ、繊細さにテクニックを、
芸術性を感じないのだろう?



別の所で、
「日本のオケは、ピアニッシモが出せない」
と、言われているという噂を聞いた。


今回、そのようなことが考慮されて、
ふたが上がっていなかったのかもしれない、と思った。



でも、この夜の聴衆は、
あれから20年ほども経っているのに、
あの頃のように、CMは流れていないのに、
聴きに来ている訳だ。
最後の、ピアノの音がなくなった後の、
あの、バトルのピアニッシモの声の響きが消えるのを聴いて、
それから、拍手をしていた。

だんだんと彼女は乗ってくるんである。
黒人霊歌も、ジャズも。
アンコールは、8曲だったと思う。
68歳になったという彼女は、ますますつややかに、
伸びやかに歌った。

そう、アンコールで一曲、
日本の歌が入っていた。
「この道」
前奏が始まったとき、おおーと声が上がり、
2回目をみんなで歌うようにとジェスチャーがあったとき、
サントリーホール中の空気がごおっと動いた。
その空気の動きに感動して、もう涙を我慢できなかった。

バトルはすごい。
ピアニストも、ほんとにすごかった。
音楽ってやっぱり、すごい。


・・・68歳か。。。
彼女のように、何があっても、
あのすてきな、正統的な発声を守れていれば、
68歳でも、あのように歌えるのだろう。
私も、最後尾の方かもしれないけれど、
あのすてきな、正統的な発声を追求している。
そのライン上にいると確信している。
68歳になるのがちょっと楽しみになってきた。

すてきな夜をありがとう。