音痴について語ってみる2019年09月13日 01:17


「日本人は音痴がいない民族である。」

これ、頷けますか?


私は、頷ける。

少なくとも、
0人ではないとしても、
本当に音痴の日本人って、すごく少ないと思っている。
ほんとはいないんじゃないか、と思ってる。

一般的に言う「音痴」とは、
私にとっては、音痴には入らない。

その音痴は、回避できたはず、
あるいは、これから矯正可能だと考えている。
そう感じることがほとんどなのだ。

一般的音痴には、3種類あると考えている。
リズム音痴 … 拍が取れない、もしくはテンポが取れない
音程音痴 … 音程が取れない
その両方ミックス音痴

概ね、思い当たるとしたらミックスタイプかと思う。
その割合は、個人差があるが、
ミックスが多いように思う。

そしてこの二つは、
大人になっても程度の差はあるが、
改善する可能性はとても高い。
ちょっと根気がいるけれど。。。

改善できると言うことは、
そうなった原因を考えられるわけで、
それは、シンプルに、
音楽経験の少なさだと思っている。

自分で声に出したりすることはとても大事な音楽経験だ。
でも、それよりも前に出来ること、
というか、しているはずのことが、聞くことである。
これが少ないと、音痴度が上がる。

聞く経験が少ないので、
気にする、とか
感じる、聴くとかいう回路が
あまりはっきり繋がっていないイメージだ。

そこがまず曖昧なのに、
聞いたことを声に出すということは、
その回路はもっとけもの道である。

インプットのラインも、
アウトプットのラインも、けもの道。
これが、殆どの日本人の音痴の状況ではないだろうか。

あと、特記事項として、
加齢、が関係することがある。
音程を支える筋力が弱って、音程がちょっと外れる。
息が続かなくなって、音程が下がる。
などなど、
歌は呼吸筋との関係が深いので、
加齢が原因になることもあるようだ。
というか、からだ全身で歌っていれば、
逆に呼吸筋トレーニングになるということである。

さて、今日の一枚は、
秋のおさらい会「もみじコンサート」のフライヤー。
春のさくらコンサートの秋バージョン。

ちょっと自慢なのは、
うちの生徒さんたちは、回を重ねるごとに上手くなる。
当たり前のようなのであるが、
これが結構、すごいことなのだ。

なぜ年を重ねて、
加齢しているのに上手くなるのか、
といえば、ひとえにからだで歌うことをテーマに、
声楽を習っているからだ。

この道50年の大工さんや寿司屋の大将のように、
人生70年のからだ使い、なんである。

私音痴なんです、と言って始められた方も、
子供の頃に音楽経験を持っていたなら,
その音痴はいつしか、改善されていくのだ。

だいたい、他の人と比べて、
私は外れてる、って聞こえてるなら、
ほんとの音痴じゃない。
そうでしょう?

簡単に音痴って言い過ぎ。。。

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