そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか? ― 2018年11月13日 23:40
その2)
そもそも、
の続きである。
その卒業コンサートの次の日の朝ごはん。
あのピアニストが、
あの歌い手と、食べているではないか。。。
同じホテルだったんだ。
。。。なんとなく人恋しい私は、
ひっそり、隣のテーブルに座ってみる。
少しすると、
一緒に食べていた歌い手を送って行き、戻ってきた。
「日本の方ですか?」
「そうよ」
彼女はまだまだ食べながら、
私の話をきいてくれた。
「あなたみたいな事になった人、
私たくさん見てきた」
へー・・・
そうなんだ。
・・・事故に遭って無くても?
なんと、
この方は、私に
身体の使い方から教えてくれる先生を、
紹介してくれると言う。
日本では、三人しか思い当たらない、と言う。
まだ、私の歌を聴いていないのに、である。
日本に帰って、
そんな気持になったら、連絡してね、
と、連絡先をホテルのフロントへ預けていってくれた。
ワイマールを早々に切り上げた私は、
家族と合流して、
なんと、チェコへ向かったものである。
(プラハへの電車は、その名もスメタナ号!)
まだ、この時点で、私の中では、
ドヴォジャークとは、繋がっていない。
むしろ、余り記憶が無い。
そこから、一ヶ月ぐらい、落ち込むのだ。
ある日、俄然怒りがやってくる。
私、何も悪いことしていない。
優秀でもなかったけれど、
サボっていたわけじゃない。
うまくなろうと思ってきた。
その道が、
その声の道が必ずあると信じていた。
どこで間違えた?
そもそも、間違っていたのか?
こうしか、なかったじゃないか?
絶対に、身体からの声を見つけなくては。
あるってわかっているのだから。
それを見つけたら、やめてもいいや。
そうしたら、私もあの藤色のドレスの方のように、
幸せなおばあちゃんになれるだろう。
歌い続けていけるかも。
そうして、ドヴォジャークを歌うの。
歌えるようになるんだ、絶対。
私は、とてもついている。
ありがとう。
そもそも、何故チェコスロヴァキア歌曲を歌うのか? ― 2018年11月11日 23:10
その1)
そもそも、
である。
私は、一度歌をやめようと思ったことがある。
向いてない。
もう、無理。。。
この写真を撮った次の年ぐらいかと思う。
今から、20年弱前のことだ。
車を運転していて、赤信号で止まっていた。
まだ赤なのに、後ろの10トントラックが、
前に出たのだ。
たったそれだけ。
彼の車は殆ど何でも無いけれど、
私の車は後ろのトランクは、
使えないぐらいへしゃげていた。
私は、大丈夫と思ったのだけれど、
夕方には、身体中が痛いし、微熱は出るし。
むち打ちである。
全治二ヶ月と言うけれど、
完治には結局半年かかった。
でも「完治です」と言われても、
昨日と、さっきと全然変わっていない。
でも治ったんだから、歌ってみよう。
あれ、どうやって声って出すんだっけ?
最初の一声って、どうやるんだっけ?
どうやって立つんだっけ?
何もわからなかったのだ。
何も、わかっていなかったのだ。
事故に遭ったことより、
びっくりだ。
哀しかった。
この頃、練習するって怖かった。
どうして良いか、わからなかった。
昨日と何も変わらない。
全然うまくならない。
苦しいし。
当たり前だけど、気持ちよくない。
勇気を出して参加したワイマールのセミナーでは、
さんざんだった。
(当たり前だ。。。)
今夜のコンサートを聴いてもう、帰ろう。
その日は、別のクラスの卒業コンサートだった。
60〜70歳ぐらいに見える女性が、歌った。
真っ赤な口紅で、藤色のドレス。
涙が止まらなくなった。
・・・私、この人ぐらいの年になった時に、
どうしているだろう。
こんな風に、楽しそうに
幸せそうに、キラキラしてるだろうか?
歌っているのか?
歌っていられるのか?
歌っていなかったら?
その時に彼女(ドイツ人)が歌ったのは、
ドヴォジャーク作曲の歌曲「ジプシーの歌」。
伴奏ピアニストは、東洋人らしかった。
この方が弾いたもう一人の女性(カナダ人)は、
これまたドヴォジャーク作曲のオペラ「ルサルカ」から、
月に寄せる歌。
この日のこの出会いが、
この曲と、
このピアニストとの出会いが、
もう一度最初から、原点から学ぼう、
やり直そう、
と決心させてくれることになった。
私は、ついてる。
ありがとう。
私は夢を見た ― 2018年10月04日 12:55
今朝、起きる直前まで夢を見ていた。
私は、ほとんど夢を見ていないと、
言い切るぐらい覚えていない。
夢は、普通にみんな、毎晩見ている、
という話も聞く。
それを日記につけるといい、
とも聞くし、
潜在意識との関係がある、
とか、
フロイトの夢判断、とか、
本当に昔から、
たくさんの人が不思議に思い、
研究されてきたのだと思う。
でも、覚えていないのだ。
ところが、今朝は珍しく覚えてる。
。。。いや、そろそろあやふやになっているけれど、
多分夢の続きのまま、にっこり起きたんじゃないか、
と思ってる。
明石家さんまさんと、あの調子でおしゃべりしながら
おにぎりを握ってる夢。
シャケである。
本当におかしくって、楽しかった。
。。。何のお告げだろうか?
ということで、今日の一枚は、
彼のHPの写真を載せさせていただこうと思う。
。。。と思ったのだけれど、差し替えます。
私は、ほとんど夢を見ていないと、
言い切るぐらい覚えていない。
夢は、普通にみんな、毎晩見ている、
という話も聞く。
それを日記につけるといい、
とも聞くし、
潜在意識との関係がある、
とか、
フロイトの夢判断、とか、
本当に昔から、
たくさんの人が不思議に思い、
研究されてきたのだと思う。
でも、覚えていないのだ。
ところが、今朝は珍しく覚えてる。
。。。いや、そろそろあやふやになっているけれど、
多分夢の続きのまま、にっこり起きたんじゃないか、
と思ってる。
明石家さんまさんと、あの調子でおしゃべりしながら
おにぎりを握ってる夢。
シャケである。
本当におかしくって、楽しかった。
。。。何のお告げだろうか?
ということで、今日の一枚は、
彼のHPの写真を載せさせていただこうと思う。
。。。と思ったのだけれど、差し替えます。
サロンコンサート2018 ― 2018年09月15日 23:45
サロンコンサートのお誘いです。
昨年は、ちょっとしたトラブルで、
できませんでしたが、
今年は、開催です!
昨年予定していたチェコ歌曲。
ドヴォルザークの6つの歌曲を、
全曲チェコ語で歌わせて頂きます。
もう一つ。
トルナウスキーという
スロヴァキアの作曲家の作品。
「小さな花々」から5曲。
スロヴァキア語で歌わせて頂きます。
他に、日本の歌や、
イタリア古典歌曲、ドイツの歌など。。。
チェコ語とスロヴァキア語。
元々は一つの国だったことがあります。
お互い、それぞれの言葉で話していても、
話が通じるそうです。
多分、感じとしては、
私たち日本人が関西弁と関東弁とで
話してるようなものでしょうか。
発音も、文法も似ている、
というか、方言、ぐらいの差かもしれません。
歌うには、書かれている通り、
できるだけ忠実に歌うところですが、
CDなどを聴いてみると、
何分方言に近いので、
少し潰れる?発音などもあるようです。
でも、私は外国人になるので、
書かれてる通りに歌おうと思います。
彼らの言葉には、
母音(a e i o u)は私たちと同じようですが、
長い母音、というものがあります。
これは、長いなら長く発音しないと通じない。
大事なことです。
なんと、歌う曲は、
長い母音には長い音符が当てられて、書かれています。
そうでない場合、同じ音符でも長めに歌います。
長母音だよー、
とわかるように歌う。
この時代の歌う曲は、歌詞が先だった、
という証拠でもある。
興味深いでしょう?
元々、歌うための曲は、
詩が先にあった、ということです。
最近は、曲が先で詩を後から作る、
というか、付ける。
なぜ付けるかといえば、
音が先にあれば、字数の制限が出ちゃうから。
難しそうですよね。。。
これは、訳詞で歌うときにも
同じことが起きているわけです。
それで、ちょっと違和感を感じることって、
ありませんか?
音楽と言葉。
両輪で、どちらも大事なもの。
どちらも一緒に操れるのは、
人間の特権です。
だから、文化で文明。
歌って、すごいでしょ?
昨年は、ちょっとしたトラブルで、
できませんでしたが、
今年は、開催です!
昨年予定していたチェコ歌曲。
ドヴォルザークの6つの歌曲を、
全曲チェコ語で歌わせて頂きます。
もう一つ。
トルナウスキーという
スロヴァキアの作曲家の作品。
「小さな花々」から5曲。
スロヴァキア語で歌わせて頂きます。
他に、日本の歌や、
イタリア古典歌曲、ドイツの歌など。。。
チェコ語とスロヴァキア語。
元々は一つの国だったことがあります。
お互い、それぞれの言葉で話していても、
話が通じるそうです。
多分、感じとしては、
私たち日本人が関西弁と関東弁とで
話してるようなものでしょうか。
発音も、文法も似ている、
というか、方言、ぐらいの差かもしれません。
歌うには、書かれている通り、
できるだけ忠実に歌うところですが、
CDなどを聴いてみると、
何分方言に近いので、
少し潰れる?発音などもあるようです。
でも、私は外国人になるので、
書かれてる通りに歌おうと思います。
彼らの言葉には、
母音(a e i o u)は私たちと同じようですが、
長い母音、というものがあります。
これは、長いなら長く発音しないと通じない。
大事なことです。
なんと、歌う曲は、
長い母音には長い音符が当てられて、書かれています。
そうでない場合、同じ音符でも長めに歌います。
長母音だよー、
とわかるように歌う。
この時代の歌う曲は、歌詞が先だった、
という証拠でもある。
興味深いでしょう?
元々、歌うための曲は、
詩が先にあった、ということです。
最近は、曲が先で詩を後から作る、
というか、付ける。
なぜ付けるかといえば、
音が先にあれば、字数の制限が出ちゃうから。
難しそうですよね。。。
これは、訳詞で歌うときにも
同じことが起きているわけです。
それで、ちょっと違和感を感じることって、
ありませんか?
音楽と言葉。
両輪で、どちらも大事なもの。
どちらも一緒に操れるのは、
人間の特権です。
だから、文化で文明。
歌って、すごいでしょ?
エディタ・グルベロヴァ ― 2018年09月14日 22:44
彼女が来る。
まだ学生だった頃、
憧れた人。
練習していけば、
いつかこんなふうに、
軽やかに、らくらくと、キラキラと歌えると思ってた。
金属のような響きがあるのに、
柔らかで、エレガントな歌声。
でも、ただ練習をしていても、
こんな声は出せないことは、
やがて私にもわかる日が来た。
同じ人なのに。
何が違う?
どうすれば良い?
ある時、目の前に歌っている人が、
同じ響きを持った声だと気づいた。
え。。。。
同じ発声法なのか?
こんな人と会えたんだ。
そして、その人は、今私の先生だ。
この人にレッスンを受けるために、
スロバキアに行くのだ。
そう、二人ともスロバキア人である。
私の先生はメゾソプラノだけれど。。。
さて、また前置きが長くなったけれど、
日本での最終公演、と言われたコンサートは、
既に何年も前に終えているグルベロヴァ。
でもね、来月、来日する。
72歳になるそうだ。
その最終公演は聴き逃していまっている。
今回は、残り少なくなっていたけれど、
チケット取れた。
嬉しい😆
実はこの日、
生徒さんのおさらい会を予定していた。
でも、今回私のわがままを皆さんが快く聞いてくれた。
ありがたいことです。
また来月に限って、
会場の抽選に3日も当たっているわけである。
全く取れない月もあるのに。
ありがたいことだ。
もう既にわくわくである。
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