歌は文化の底力2018年09月08日 23:02

レッスンの後にWSを設定してある日。

レッスンだけ受けて帰るつもりだったそうだが、
これまた、
「初めて出ちゃった声」体験をした勢いで、
WSも参加された方がいる。


彼は、久しぶりにレッスンを再開した。

もともと沖縄の島の特産物のような声をお持ちだ。

良い声の方によくあるのは、
自分に良く聞こえる声を
使っていること。

当たり前のように思うけれど、
これで良いように思うけれど、
ここから離れる必要がある。
他の人が聞いて聞きやすい声が良い。
その方が、実は本人が疲れない。

これも声の錯覚のうちの一つである。

声は、自分の耳では2種類を同時に聞いている。
内側で響いている声と、
外から聞こえる声。
これを本人は、同時に聞いている。

だから、録音の声を自分の声と思えない、
ということも起こる。

これは、やがて一致して来る。
という言い方で良いか?
なのだが、
私は、一致して聴けるようになった。


前置きが長くなったが、
彼の課題に、
もう少しチャラ男な声を出してみよう、
がある。

軽くて、響きが上にある声。
これをチャラ男な声、と例えた。

男性にこれをお願いすると、
照れくさいし、恥ずかしいし、
そもそも自分はチャラ男じゃないし。

でも、そうすると声が疲れない、
ということは、わかった。

という辺りでお休みに入られた。


今日、最初の呼吸を変えてみたら、
例のチャラ男声で、
簡単に、安定して歌えたのである。


私の方がびっくりだ。

チャラ男声記念日!
っていうか、この声が出たら、
立派に良い声記念日だ。

で、WS。

今日は、前回の「ゆりかご」
の子守唄つながりで、
チェコスロバキアの子守唄を原語で歌おう。


民謡である。
ちょっと日本の
ねーんねーん ころりよー
おこおろーりーよー
に似ている。

私のお気に入り。
ドヴォルザークは、この歌を歌曲に仕立てている。
芸術になるとこうなるんだー、
と感激する。

歌詞を読む。

ほー韻を踏んでいるのですね

彼が言う。

そうです!

民謡なので、子守唄なので、
シンプルにできている。

何回か歌うと、口ずさめるようになる。

では、今日の最期の歌です。
レッスン受けていない方もいるのだけれど、
さっきの呼吸の位置を変える、
を試しつつ、歌っていただいた。


おー
歌いやすい。
声が出しやすい。

えー、なかなか高度テクニックを
こんな短い時間でできちゃうんですか。。。


またまた私がびっくりだ。


本来の発声。
これは、多分動物たちがしているように、
自由で、癖がなく、遠くまで届く声。

でも、人間は、これを文化にできる。
歌詞があり、それを感じ、
メロディがあり、それを感じ、
拍があり、リズムを感じる。
歴史、背景、言語、宗教。。。
いろんなものをチャンプルーして、
歌になる。

だから歌は、文化です。
だから、芸術です。

誰でもできる尊いこと。
最古で最先端。

今日みたいな仕事をさせて頂くと、
ほんとに嬉しく、ありがたい。


さて、今日の一枚は、
こんな話の後にちょっと異質ですが、
仕事の前に、初コメダコーヒー。
遅めのランチにグラタンを頂きました。

ごちそうさまでした。

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