知識と教養の違いについて考えよう ― 2018年08月28日 23:11
今年の研修の旅も無事に終えることができた。
お陰様で、ありがたいことだった。
いつもの状況から離れると、
いろんなことが見え、
いろんなことが起こり、
底力が試されることにもなる。
私にとって、娘との二人きりの旅は、
一人よりもずっと自由になる。
トランクを見ていてもらって、
トイレや、道の確認に行くことができる。
電車の発券機の使い方がわからなくても、
彼女の勘に救われたり、
スマホ力で、バスや道を見つけてくれる。
食べきれないことを心配したり、
よくわからないメニューも、
ちょっと安心して頼めたりする。
疲れてもう動けない、と思っても
頑張れたりもする。
何より、部屋で日本語で話せる相手がいる。
ひとりじゃない旅は、3回目だけれど、
こんなにも心持ちが違うとは、
我ながらびっくりである。
一緒に住んでいないので、
なかなか話す時間もないのだが、
レッスンが終わる頃には、旅状態にも慣れて来て、
夜中まで話し込んだりもできた。
その中で、話題になったことが、
知識と教養って違うんだね、ということだった。
似てるようだけれど、
全然違う。
これからは、知識の価値が下がるのではないか。
A Iに、任せられることだから。
教養は、知識などの上に経験を伴うのではないか。
だから、A Iには持てないもの。
知識は、受動的。
教養は、能動的。
。。。そういうことではないか?
という話をした。
机上の空論、より
体験の方が心の栄養になるのは、
多くの人たちが経験しているだろう。
しかし、大人になって、
それを自分から望み、
経験することを選択するのは、難しくなって行く。
勇気がいる。
歌が上手くなりたいだけなのに、
本当のテクニックが知りたいだけなのに、
どうしてこんなに大変で、
めんどくさいことをわざわざしてるんだろう、私?
と、思ったことも何度もあるのだ。
しかし、確実に素晴らしい先生の元へ、
受け入れていただけているなんて、
何てすごいことだろう。
何度も来ることができるなんて、
何てありがたいことだろう。
歌うって、教養なんだ。
これが、恥ずかしながら
結構大人になっている私の、
今回の収穫の一つである。
これを、シェアしたいんである。
一人でも多くの、
必要としている、探している方へ、伝えたい。
さて、今日の写真は、
ウィーンへ戻って、最後のランチ。
デザートまでしっかり頂いた。
奥のチョコケーキは娘が。
手前は、私のオーダーで、パイ生地にクリームが詰めてあるもの。
これは、ウィーン名物かもしれない。
ごちそうさまでした。
ありがとう😊
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