音楽の神様への恩返し2018年06月30日 22:58

昨日の公開講座。
デビューの方のお話をもう少し。


この方は、
小学生の頃に音楽の試験で、
「何でも好きな歌を歌ってご覧なさい」
と言われて、お気に入りの曲を歌った。
しかし、うまくいかず、
自分は音痴だし、
音楽は向いていない、と思い込んで生きてきた。
60年ほども、である。

実はこのようなケースは、
うちの生徒さんには結構いるんである。
と言うことは、おそらく世の中にも、
同じぐらいの割合で、存在しているんではなかろうか。

前にも、
上と同じような試験で、
自分が歌ったら、先生がクスッと笑った。
くしゃみだったかもしれないけれど、
とても傷ついた。
それから、人前で歌わないようにしてきた。

このような方達は、得てして、
音楽が好きだったりするんである。
聴くのは好き。
演奏していることへの憧れもある。
でも、自分とは別世界の出来事であると思ってきた。


これらの方々へ、
本当に私たちの罪は深い。
何気なくしたことではあるのだろうが、
或いは、何気なくしなかったことだったろうが、
時と場合がいけなかった。
子供たちにさせていることの重大さを、
推し量るべきだったんである。
一人でさせたことへのフォロー。


子供たちとの音楽教育へ携わる方へ。
間違えたなら、そう伝えよう。
「今、ちょっと変だったね」
それだけで良いんである。
その一言で、救われる子がいます。
その一言がないだけで、
自分が音痴だと思い込む子がいるんです。
「ん?ちょっと変?
でも、先生が間違うはずがない。
私の感覚が間違っているんだ。
私がおかしいんだ。」と。。。
そして、そう感じても、
まだ子供だから、うまく言葉にすることができず、
それを伝えられないことが重なる。
ますます悶々とするんであるが、
それは、心の底へ沈められて行く。

そう、
気づいている子が必ずいるんです。


そして、
上のような例が起きる。



このデビューの方。
昨年から、私たちのおさらい会などを見学にいらしていて、
歌を始めることを悩んでいた。
。。。もう少し、言うと
私が背中を押すのを待っていたようでもあった。

でもね、
私はここはぜひ、
自分で決めて頂きたいんである。
ここは、大事。


あの日、
彼女は自分から歌うことを始めると決めた。
そして、その時にあの頑丈な音楽の壁は
既に崩れ始まっていたんである。
そして、あのときに歌った歌を歌い、
「もう卒業な気がする」と自分で気づき、
昨日、とても美しい声が出て、
「新しい自分と出会えた」そうだ。
そして、
レッスンの最後にすてきな声が出て、
たくさんの拍手が頂けた。


このような経験をどんどんして頂きたい。
その助けをさせてください。
いつからでも遅くないんである。


少しは
音楽の神様に恩返しができただろうか?

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